茨木のり子さん(1926~2006)の詩「みずうみ」。
茨木さんは、この詩の中で、田沢湖を「深く青い湖」とたとえています。
田沢湖は、日本で最も水深の深い湖(423.4m)。
そこからの「深く青い」たとえだろうと思うのですが、
茨木さんのお母さん、
ご主人(三浦安信さん)は、
山形県のご出身で、
茨木さん自身、山形を何度も訪れてらっしゃいます。
お墓も、ご主人のと並んで、山形県鶴岡市のお寺にあります。
そういうことを考えますと、
隣県秋田にあるこの田沢湖に馴染みがあり、
何かしらの関心がおありだったの、かもですね。
詩に描かれた情景を追っかけるーーー。
以前なら、絶対しなかったことに興味が出てきたのは、
歳を重ねたせいだったのか。
いつしか、チャンスがあれば田沢湖に行きたい!と思っていたのでした。
2018年夏。
震災以来関わりのある福島で行われたイベント参加後、
田沢湖に向かいました。
福島から、列車で岩手県へ。
遠野で1泊して、翌日釜石・大槌へ。
震災直後、医療系団体の調整員で活動した場所です。
しばらくぶりに訪れることができました。
訪れたとき、釜石では、
翌年2019年ラグビーワールドカップを控え、
会場のひとつとなるラグビー場が完成しようとしていたところでした。
そこから、バスで宮古へ抜け、浄土ヶ浜へ。
台風がもうちょいで通過するかな、のタイミング。
低く雲が垂れこめた一日でした。
その翌日。
列車・新幹線を乗り継ぎ、宮古~盛岡~田沢湖と移動しました。
朝、宮古を出たあたりから晴れ間が見え始め、
昼過ぎに田沢湖に着くころには、夏晴れの空が広がっていました。
駅舎の中にある観光案内所で、
田沢湖畔を一周をする遊覧バスがあることを教えていただきました。
たつこ姫の黄金像、御在石神社など観光スポットで休憩停車があり、
田沢湖一周と観光スポット散策ができる、便利なバスでした。
バス中、ずっと車窓を眺めていました。
そらの蒼と湖面の深い青が、快晴のまばゆい光で彩られて、
ただ見ているだけで幸せな心地になっていました。
「ひかり」に、あたたかさ、を強くイメージしたひとときでした。
この日は8月8日。
夏の観光シーズンでしたが、
台風通過のタイミングのあやだったからか、
バスもそれぞれの観光スポットも閑散。
おかげで、のんびりした心地で田沢湖周遊を楽しむことができたのでした。
あとあとで知ったのですが、
十和田湖、田沢湖、八郎潟にまつわる伝説があります。
十和田湖を作った八郎太郎は、
南祖坊(なんそのぼう)との戦いに敗れ、逃げた先で八郎潟をつくります。
辰子姫は永遠の美と若さを願うあまりに龍に姿を変え、
田沢湖をつくり住むようになりました。
やがて、八郎太郎は辰子姫と出会い、想いを寄せ合います。
そこに南祖坊が再度登場。今度は八郎太郎が勝利。
以後、毎年冬になると八郎太郎は辰子姫と田沢湖で暮らし、
深まる愛情とともに田沢湖の水深は深くなりました。
一方で、主のいなくなった八郎潟は浅くなっていった・・・というおはなしです。
あとあとで、田沢湖にまつわる伝説を知ると、
この時撮った写真に写っている雲が、
なんとなぁく龍に見えたりもします。
その土地めぐり、では、
まつわる伝説や伝承を知ると、
楽しみ方や味わい方が、より深くなるような気がします。
この数年前に訪れた十和田湖と同じように、
田沢湖も深い青をたたえていました。
茨木さんが綴ったとおりの「深く青い湖」でした。
それと、湖面をわたる風もすごく印象があります。
吹き下ろす強風ではなく、ちょうどいい具合の心地よさでした。
その場所に居たときのリアルな感覚に、
伝説を聞いて感じたことや、
自分の内面の何か、
が織り交ぜになって、
この田沢湖での光景が、
ある種の自分らしい心地よさを表現した、象徴的なシーンになっています。
ひかり のように、あたたかく
風 のように、かろやかで、ここちよく
みずうみ のように、ゆたかで、鎮まり
こんな言葉が、自分のありたい心地よさ、として、
あつまり、まとまってきました。