”「しいん」と静かな湖”~十和田湖にて:茨木のり子「みずうみ」の情景(1)

茨木のり子さん(1926~2006)は、大好きな詩人です。

でも、彼女のことを気づき、好きになったのは、
お亡くなりになって何年か経ってのことでした。

教科書に載っていたはずの
「わたしが一番きれいだったとき」「自分の感受性くらい」は記憶になく、

”もはやできあいの思想には倚りかかりたくない…”

で始まる「倚りかからず」がブレイクした(2000年頃)ことも、知らずにいました。

どんなきっかけで好きになったのか、
うー、思い出せない、けれど、好きになっていました。

全集を借りて、通しで読んだことがありますが、
もっぱらは、大好きな数篇の詩を眺めています。

その詩とは

「みずうみ」
「部屋」「汲む」「聴く力」

あたり。

今回は、「みずうみ」についての1回目(全2回)。

無印良品で作っている作品集が素晴らしいですね。

茨木のり子詩集(無印良品)

500円でお手頃価格ながら、
選りすぐりの詩と写真、エッセイが載っています。

上記の好きな詩では、「みずうみ」「部屋」「汲む」が載っています。

「部屋」とか、ちょっとマイナーかも(茨木さんゴメンナサイ!)
なのに、載っていて、とってもうれしい。

この「部屋」は、ミニマルライフな内容なので、
無印さん好きならきっと共感してもらえるはず!
編集者さん、うれしいです!いい仕事してはりますね!

「みずうみ」は1969年に発表されました。

この詩では「しいん」がキーワードになって散りばめられています。

「だいたいお母さんてものはさ しいん としたとこが
なくちゃいけないんだ」
「人間は誰でも心の底に しいんと静かな湖を持つべきなのだ」
「それこそ しいんと落ちついて 容易に増えも減りもしない自分の湖」

わたしは、
高校卒業以来、たびたびの転居と仕事替えをしてきました。
数えたら、あらら、15回以上も。

それぞれに、自分なりの一生懸命さと考えがありました。
でも、いつも、どこか地に足がつかない、フワフワした感覚も一緒に。
「しいん」とすることが足りていない、ということだったんでしょうか。

カッコつけて言っちゃうと、
茫漠とした不安、や、自分への自信のなさ、ということだったんでしょうか。

そうはあっても、
思いもかけない導きをたびたびいただいて、
仕事や活動をさせていただいてきた、なぁとも思います。

本当にありがたい。感謝です。

さてさて。
ホントに思いがけないことから、
あれよあれよ、という間に海外でのお仕事をいただきました。

そして赴任。
毎日必死にがんばってたんだと思います。
けれど、無理をしていたんですね、
疲れ果て、日本で休暇を取ることになりました。

そのおりの滞在先に選んだのは、十和田湖畔のある宿。
それこそ、
何か引き寄せられるような感じで、十和田湖に向かっていました。

その時期湖畔は閑散としていて、
泊まった宿には、私しかいないこともたびたび。

滞在中は毎日のように
奥入瀬渓流を端から端まで歩き、
十和田湖畔を散策し、
時には八甲田山、青森市内まで足を伸ばして、
体を動かしてました。

まわりを山で囲まれ、盆地のようになった十和田湖。

好天の穏やかな日でも、
まわりの山からの吹きおろしの風が湖面をさざめかせます。

十和田湖(2016年5月)

湖畔の岩に腰を下ろして、ぼーっと湖面を見ていると、
湖というよりも海のようだなぁと思えていました。

そうして、過ごした2週間があっという間に過ぎ、
東京に戻る日を迎えた、その朝のことです。

何気なく部屋から外を眺めると、一面乳白色の世界。
あっ!これは、話に聞いていた「十和田湖に雲海」がかかっているんだ!
そう気づくと、宿のバイクを借りて湖畔へすっ飛ばしました。

果たして。
湖畔には、深い霧がかかり、実に幻想的。

湖面の波立ちが全くない、静まった十和田湖(2016年6月)

そして、鳥肌が立つ思いがしたのは、
湖面に波ひとつなく(ガラスのよう)、透き通る湖底が、
ずっとずっと遠くまで見えていたこと。

もう、ただただ、ぼーっとして眺めているばかりでした。
時折通りがかる車の走行音以外、何も聞こえません。
ただただ、「しいん」とした世界が広がるばかりで。

「人間は誰でも心の底に しいんと静かな湖を持つべきなのだ」
「それこそ しいんと落ちついて 容易に増えも減りもしない自分の湖」

茨木さんが綴る世界を映した、
幻燈の1シーンが、そこにひろがり、
ただただ、それを味わいつくせた時間でした。

茨木さんは、「みずうみ」の終わりの方で、こう綴っています。

教養や学歴とはなんの関係もないらしい
人間の魅力とは
たぶんその湖のあたりから
発する霧だ

時が経ち、
改めてあの時に思いを返しながら思うこと。それは、

・・・
「しいん」として、こころが鎮まり、
透きとおった湖のように、
こころの奥底が見えること、が、怖くなくなり、

そんなふうに、
自分のあるがままを
受け入れられるようになったなら、、、

そのとき、
魅力としての霧が、
シンクロするように、湧きたってくる
・・・

そういうことかなぁ、と。

さて、あのときに戻りまして。

湖畔に立ちつくして、どれくらい経ったでしょうか、
雲海を上から見たくなって、こんどは展望台へ。

雲海に覆われた十和田湖(2016年6月)

湖面には、美しい雲海が広がっていました。

快晴の蒼天は、雲海のベールを少しずつ少しずつ剥いでいきます。
湖面と青々とした山々が見えようとする頃、波立ちが戻ってきていました。

湖面の霧が消え、青空がのぞく十和田湖(2016年6月)

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